門松の起源

これは「新春国立名人会」の席で神田松鯉さんが話していたものです。
帰ってから調べてみて、わかった事を書いてみます。

門松そのものは古くから年神を祭るという意味のある風習だったのですが、問題は竹の先です。
先を斜めに切ることを「そぎ」と言いますが、よく見ると斜めではなく横に切っているものもあります。
その起源が何と三方ヶ原の戦いにあったのです。
これは徳川家康の戦歴中、唯一の敗け戦でした。
戦いの最中に新年を迎えた徳川家康に、相手方の武田信玄から一通の文が届けられました。
その中に書かれていた句が、

「松かれて竹たぐひなきあした哉」

松は松平=徳川。これが亡んで竹=武田が安泰。という内容に家康の怒り心頭。
そこで家康の家臣の知恵者、酒井忠次が一計を案じ、それを文字って、

「松かれで武田首なきあしたかな」

松が枯れても武田の首も飛ぶ、という句にして武田信玄に返したのです。

そこから門松の竹を武田の首に見立てて、斜めに切り落としたのが「そぎ」だったのです。
これは菊池貴一郎の『江戸府内絵本風俗往来』という書物に書かれているそうです。
この本明治時代に出版されたものですが、何と新装版となってAmazonや楽天からも注文できることがわかりました。近々取り寄せて確認してみたい。

なお「そぎ」を入れず切り口が横になっているものは、竹が松よりも上という事で武田側の優位を示すものだそうです。

いずれにせよ、講釈師の喜びそうな話題ですね。

「門松の起源」への3件のフィードバック

  1. 松かれで武田首なきあしたかな」
    「松が枯れても武田の首も飛ぶ」
    「松が枯れても」ではなく、「松は枯れないで」だと思います。

  2. 「まつかれて」という句が送られてきたことを記述した文献史料は存在します。しかし家康が怒って削ぎ落としたとは記されていません。ネット情報には面白くするためにそのように書いてありますが、書いている人は史料を実際には読んでいないのでしょう。詳しくは「門松の起原についての流布説の出鱈目」と検索してみて下さい。

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