大山街道探訪記 – 6. 用賀から二子玉川へ(新町・行善寺線)

前回道を間違えて歩ききれなかった大山街道新町・行善寺線、もう一度用賀から二子玉川まで歩きました。
距離は大したことはありませんが、このルート(新町・行善寺線)の興味深い史跡はこの間にありました。

開始点は用賀の手前にある追分です。三軒茶屋茶屋から新町・行善寺線と上町・慈眼寺線に別れた大山街道は、この追分の地点で一度合流します。
そして用賀の駅前を通って高速道路の下を潜り、もう少し行くと延命地蔵があり、その地点で再び両ルートが分かれるのです。今回は行善寺方面へ向かいました。

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瀬田の交差点。ここは玉電の通っていた昔から広い交差点でした。
今は環状8号と国道246号、そして旧大山街道と側道が交差する広く且つ複雑な交差点です。
二子橋へ向かう国道246号の脇から左へ入る細い側道が大山街道でした。

落ち着いた並木道を歩くとやがて坂の先に二子玉川の駅や高島屋などの建物が見えてきます。
さらにその向こうに多摩川を隔てて丹沢山系、そして左に大山、その先に富士山が見える。。。はずでしたが、今日は年末には珍しいポカポカ陽気で、空も霞んでよく見えませんでした。残念!

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左に日本バプティスト東京第一教会があり、その前を進むと何やら路地の左右が鬱蒼としてきます。
マンションや駐車場の間に歴史の重みを語りかけるような木々の数々。ここは「樹庭」という国分寺崖線の風致景観は場だったそうです。

またこのあたりは瀬田遺跡ということで1万年以上前の遺跡も発見されています。
マンション建設によってこのあたりの景観が損なわれないよう、地元住民の要請で70本の樹木が残されたとあります。保存樹木の札を付けた樹木が多く見られました。

やがてこのルートの名前の元である浄土宗獅子山西光院行善寺があります。ここは玉川八景と呼ばれる景観の良い地でした。昔は眼下に多摩川から丹沢山系までを望むことが出来たのでしようが、最近は高層建築物などに邪魔されています。

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そこから行善寺坂を下ってゆきますが、途中に左手に行火坂という細い急坂がありました。その坂を上ってゆくと浄土宗福来山法徳寺があります。ここには明治以前から寺小屋があったそうで、境内にはその師大塚貞三郎のために門弟たちが建てた筆塚があります。
行火坂の脇の切通し壁面の苔がなかなか風情がありました。

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再び行善寺坂へ戻ってさらに下ると丸子川にかかった調布橋を渡ります。そして大井町線の陸橋を潜って進むともうそこは多摩川堤です。そこに堤防を切断したような箇所がありました。

交差点にかかっていた道路標識が「玉川東陸閘」????。
調べたら「たまがわひがしりっこう」と読むそうです。開閉の出来る堤防の事だそうですが、もちろん現在は開閉の扉などありません。
この堤防は春先には桜の花一色の並木になるようです。

陸閘を通って少し行くと多摩川の河岸にでますが、現在工事中で入れません。やむなく川沿いに駅方面へ行くとありました、二子の渡し跡。自動販売機の前に遠慮がちに立っていました。

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調べると、少し下流の野毛や等々力にも渡しの跡があるようです。昔の多摩川は現在ほどの川幅もなく蛇行していたようです。そこに安政年間から各所に対岸との行来をするための渡しが作られました。

一方度重なる氾濫のために大正7年から防災のための河川改良工事が行われ、さらに改良を加えて現在に至っているとあります。多摩川歴史年表より。
その結果お江戸の昔と比べて、両岸に堤防のある幅の広い現在の姿となったのでしょう。

話が脱線してしまいましたが、今日の探索はここで終了です。
そして次回からいよいよ神奈川県に入り、まだまだ先の長い大山街道行脚を続けるつもりです。

今日の水先案内も、「ホントに歩く大山街道」中平龍二郎著 でした

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