大山街道探訪記 – 19. 伊勢原~大山 ようやく大山登山口へ

大山街道探訪、立春も過ぎて気候も急に暖かくなったので、今日久しぶりにやりました。
今日の出発点は石倉橋から。もう伊勢原も過ぎて大山登山口まで一本道。道に迷う心配はないので、ただひたすら歩くのみです。

狭くバスのすれ違いもできないような道を、自動車の往来を気にしながら歩いてゆく。その沿線の史跡を見ながら。

今日の出発点は石倉橋と言っても、降り立った駅は小田急伊勢原駅。そこから30分は歩くであろう場所です。駅前の一の鳥居、そして東名高速道路を潜った先にある二の鳥居。そこから一刻あるいてようやく石倉橋に出ます。

なお地元の人に訊いたところ、一の鳥居というのは本来は平塚にある。しかし最近は大山観光の入り口が伊勢原になっていることから、伊勢原駅前にも創ったとのことでした。

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まず石倉橋には公民館らしき建物の脇に古い道標、いや道標群がありました。風化して刻まれた文字も読みにくいものがありますが、非常に存在感があります。一番大きな道標に上には何故かお不動様が睨みを効かせている。

その道標の四つの面には、「右 い世原 たむら 江乃島 道」「左 戸田 あつぎ 青山 道」「此方 ひらつかみち」「此方 はたのみち」とありました。古道の交差している地点だったようです。

大山方面に少し進むと石倉神社があります。しかし街道からは見えないので少し奥へ入らなくてはなりません。街道に面した住宅をぐるっと回りこむとありました。石倉神社です。

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小さな神社でした。由緒書は見つからなかったが、鳥居に関東大震災で倒壊して再建されたとありました。後ろを向くとそこには産業能率大学の校舎があり、手前の谷には紅梅が咲いていました。
そこから街道へ戻ってすぐにあるのが子易明神比々多神社です。子宝安産の守護神とあります。

ご祭神は大山阿夫利神社のご祭神の御娘、天孫瓊瓊杵命(てんそんここきのみこと)ということで、この近隣の神社の多くが阿夫利神社の傘下にいるように見受けられました。

よく手入れされた綺麗な神社ですが、創建は奈良時代天平年間だそうです。常夜灯や狛犬の石像などは新しく建て替えられているので、そんな古い神社とは思えません。
そして本殿を覗くと、中に古い絵馬がありました。江戸時代の絵師歌川国経の作で、花魁と新造と禿の図です。神の空間に飾られる絵にしてはずいぶん俗っぽいですね。

再び街道に戻るとすぐに見えるのが茅葺屋根の民家。充分な手入れもされてないようで、屋根の一部が崩れかけていました。

次に街道脇に見えてきたのが地蔵院易往寺。寺院半分民家半分という変わった造りの建物ですが、最近建て替えられたような新しさです。
しかしその由来は古く、元慶3年(879)の大地震で大山寺壊滅したときに、当時の大山寺別当四世弁真上人がここに移り住んだそうです。

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その手前から旧道が左に曲がる。そしてすぐ左に比々多神社があります。ここからすぐに右に曲がると急坂 が見えてくる。これが「這子坂」ということで、這って上がらなくてはならないほどの旧坂という意味が込められているようですが、大山街道出発点の赤坂から 青山に向かう途中にも「牛鳴坂」という急坂がありました。急坂にはいろいろな例え話が込められるようです。

そしてこのあたりには大山街道のおなじみのステッカーも随所で見られました。

再び街道に戻って少し進むとJAの直売所があり、その店頭には蜜柑が積んでありました。その途中にも民家が道路脇に無人の販売所を設けて、採れた蜜柑を販売しているのでした。

JAの直売所に入って尋ねたら、このあたりは蜜柑の産地。でも柿の方がもっと凄いと言っていました。そう言えば前回の探訪は11月末。収穫された柿が山積みになっている農家があった。

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さてこのあたりから街道の傾斜もきつくなってくる。黙々と歩いていると左側に諏訪神社。由緒書きがなかったので、詳しい情報を得られず。

本殿前に大豆が沢山散乱していたということは、数日前にここで節分の豆まきが行われたのでしょう。ご神木がなかなか見応えのある風格です。

再び街道をすすむと三の鳥居が見えてきます。もうここからが大山の入り口となり、街道の左右に古い宿坊が目立つようになります。
そのお宿には遠くお江戸の町内にあったさまざまな大山講からの寄進の跡があります。きっと大山詣りの定宿として使っていたに違いありません。

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そのうち加寿美橋というどぎついほどの赤い橋が見えてきて、その右が旧道です。迷うことなく旧道へ。そこには両側に昔の大山講のための宿坊が立ち並んでいます。どれも門構えに独自の脚色をしてあるのが面白い。

もうひとつ気になったのが「先導師」という看板。大山登山ガイドのような人なのかなと地元の人に訊いたらそうではなく、阿夫利神社の氏子である大山講の人たちに神事を司るそうでした。旅館主がこれを行っており皆さん神主さんだそうです。

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そして左側にあった安永年間創業の佃煮屋が気になって入ると、地元のきゃらぶきやクルミ、フキノトウなどの佃煮を試食させてくれました。おみやげも購入。

そして右側には阿夫利神社の社務局。その中にあったのが何と能楽堂です。由緒書きを見ると大山阿夫利神社の神楽舞が伝承されているのとともに、観世流の分派で「大山観世」という流派もあるそうです。
帰ってから調べたら、5月5日、8月28日、10月に大山能狂言として行われているそうです。これは是非観に行きたい。

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旧道は再び新道と合流し、坂の傾斜もさらにきつくなってきます。そして右側に「良弁」という和菓子屋を見つけて饅頭で休憩。

そしてその先にあったのが「良弁の滝」。と言っても10メートく位の岩肌に沿って水が流れているような、滝とも呼べないものです。でもその水の出口に龍の彫り物があり、その口から水が出ているのです。

そしてこの場所は大正時代の歌舞伎「大山と家光」という演目で「大山良辯滝の場」として取り上げられたとあります。また江戸時代には錦絵や版画の題材にもなったそうです。

ここを過ぎると間もなく右側に駐車場があり、伊勢原からの定期バスの終点です。間もなくと言っても、このあたりの坂はかなりの急坂で足の一歩一歩が重く、目的地が目の前に見えていてなかなか辿りつけないもどかしさがありました。

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今日は運動量的にも丁度良かったので、ここで今日の行程を終えてバスで伊勢原まで戻りました。

この探訪記も残すところあと1回。最後は山頂までの登山なので、気候が良くなったら山岳トレッキングの装備を準備して臨まなくてはなりません。

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