「粗忽長屋」に西洋哲学を見る

この噺、粗忽者八っあんと熊さんが展開する、極めつきのばかばかしいものなのですが、よくよくストーリーを聞いていると実に論理性があるのです。
そしてサゲの「ここで死んでいる俺は確かに俺だが、抱いている俺は一体誰なのか?」は近代哲学の祖デカルトの「我考えるゆえに我あり」に通ずる。何とも奇妙な一致点です。

この粗忽者、実はとても哲学的な知的レベルの高い人物なのかもしれません。
恐ろしく浮き世離れしていますが。。。。

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