大江戸ワープツアー 小石川散策 茗荷谷から小石川後楽園まで 12月1日(木)

早くも師走に入った2011年。今年も残すところ1ヶ月。その初冬の大江戸ワープツアーです。
昨日まで暖かかったのに、今日の打って変わった小雨降るこの寒さ。でも決行という事で18人が集まりました。

集合場所は地下鉄の茗荷谷の駅前で、集合時刻11時少し回ったところで全員集合。いよいよ先導者の旗を目印に歩き始めました。それにしても寒い!

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すぐに最初の訪問場所。曹洞宗林泉寺です。入り口には坐禅道場の看板もあります。
そしてここの名物が「縛られ地蔵」。何ともはや気の毒なお地蔵様です。体中縛られて顔も見えない状況で、地蔵堂の脇には、さらに縛るための縄までかかっている。

縛って願をかけるという事なのだが、身動きの取れないお地蔵様が願を叶える事できるのかな?この縛られ地蔵の由来には、あの大岡越前守の裁きがあるそうです。

次に訪れたのが浄土宗深光寺。「茗荷坂」という急坂を上りきったところにあります。そこにあるのが江戸時代の戯作者滝沢馬琴の墓です。

滝沢馬琴と言えば「南総里見八犬伝」が有名な著作。そう言えば10月に国立劇場で観た「開幕驚奇復讐譚」も作者は滝沢馬琴でした。

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再び茗荷坂を下って、地下鉄丸ノ内線のガードを潜って、宗四郎稲荷大明神の赤い幟を横目に、次が曹洞宗伝明寺。別名藤寺と呼ばれるお寺さんです。

入り口の脇に、かつて名水「観音水」と呼ばれた湧き水。今では枯れてしまいましたが、そこに観音様が祀られていました。入り口から覗くと頭の上に藤棚が。5月の頃には綺麗な花を咲かせる事でしょう。

そこから左手には藤坂(禿坂)という、これまた急坂がありました。昔はここから富士山がよく見えたそうです。
この坂を上りきると広い通りに出ました。春日通りです。そこを横断すると真ん中に遊歩道、そして両側に桜並木。ここが桜で有名な播磨坂です。この桜、歴史は案外浅く、整備されたのは1960年頃だそうです。

ここで少し早めの昼食で、北イタリアレストランを18人の団体で借り切っていました。
出て来た料理は、彩り豊かな前菜と、ツナと唐墨のスパゲッティ。そしてジェラティのデザートでした。

とにかく寒くて震え上がっていたので、充分時間をかけて休んでからまた出発しました。そして播磨坂を下ってゆきました。

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次に訪れたのは「石川啄木終焉の地」、明治45年に26歳で亡くなったとあります。結核でした。それにしても短い人生です。場所は墓があるわけでもない、マンションの入り口に説明書きがあるだけのものです。

次が「極楽水」の見学ですが、何やらマンションの脇道を通って、三方マンションに囲まれた暗い場所にありました。脇には小石川七福神の弁財天もありました。
その由来からすれば、次の訪問場所の宗慶寺の境内だったそうだが、小石川パークタワーによって近代的に整備されたとあるので、もう昔の面影は無いのでしょう。

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次に訪れたのが、浄土宗吉水山朝覚院宗慶寺。徳川家康の側室だった阿茶局の墓碑があります。どこにあるのかなと探したら、境内入口左下にありました。古い宝篋印塔の形態の墓碑でした。
偶然だが、家康ゆかりの庄屋家系図発見のニュースがあり、その中に阿茶局に関する記述もあるとの事。

そこから吹上坂を上って、次に訪れたのが浄土真宗新福寺。ここには「鐘撞料割付覚」という古文書が伝わっています。音の聞こえる周辺の住民から「撞役銭」を徴収していたとあります。

そして行き着いたのが小石川植物園。実に広い公園です。入場料は有料なのだが、入り口で入場券が買えません。近くの米屋で買って入場しました。

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ますます寒さで震え上がってゆく。広い公園の中をゆっくりゆっくり歩きながら、気になったのがメンデルのブドウの木と、ニュートンの林檎の木でした。

メンデルのブドウは、実際にメンデルが実験に使ったブドウの分株で、ニュートンの林檎は、ニュートンの生家から接ぎ木で分譲されたものだそうです。

そこから紅葉の並木道を潜ってゆくと、丁度よい具合に紅葉している場所がありました。
そこから青木昆陽の甘藷試作跡、旧小石川養生所の井戸、薬園保存園。百数十もの薬草が植えられているはずだが季節が季節。何もありませんでした。

寒い中の公園散策でますます芯から冷えたところで、次は浄土宗無量山真珠院。ここには徳川家康の生母於大の方の水野家の墓処です。この本堂も建て直されてすっかり近代建築となっていました。

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その於大の方の眠るのは道一つはさんだ伝通院。つぎはここの見学です。正式名称は浄土宗無量山伝通院寿経寺。山門は現在工事中で白木の門が既に露出していました。

その他にもいろいろな人が眠っています。一、於大の方(家康公生母)。二、千姫(二代目秀忠長女)。三、亀松君(三代目家光次男)。四、孝子(三代目家光正室)。五、於奈津(家康公側室)。六、歴代上人墓。七、了譽聖冏上人(浄土宗七祖・伝通院開山)。八、清河八郎(幕末勤王の志士)。九、佐藤春夫(詩人・作家)。十、高畠達四郎(洋画家)。十一、澤宣嘉(幕末七郷落ちの一人)。十二、橋本明治(日本画家)。十三、柴田錬三郎(作家)。十四、簡野道明(漢学者)。十五、古泉千樫(歌人)。十六、杉浦重剛(評論家・教育家)。十七、藤井紋大夫(水戸家重臣)。

まずは於大の方の墓へ。立派な宝篋印塔です。そして千姫へ。ここは更に大きな宝篋印塔でした。あとは有名処を順番に見たのでした。

そろそろこのツアーも大詰めとなりつつあります。伝通院前から神田川へ下る安藤坂をゆったりと下りながら、途中にあった「萩の舎跡」。
これは歌人中島歌子の開いた歌の塾で、後に樋口一葉が14歳の時に入門したそうです。その中島歌子の碑が、最後の訪問場所の牛天神にあります。

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いよいよ最後の訪問場所、牛天神北野神社。鳥居のようで鳥居ではない変わった形の山門に開いた丸穴から、「牛」「天」「神」の文字を書いた提灯が覗いています。

急な参道の階段を上り詰めたところに本殿がありました。見回すと牛また牛。そしてその脇に「願い牛」の石がありました。

大昔はこの神社の前は海が広がり、源頼朝が東国追討の際に立ち寄った際に、夢枕に菅神が牛に乗って現れて、二つの幸のあらん事を伝えた。その牛に似た石だそうです。

あとは中村歌子の碑を見て、牛神社の境内で解散に相成りました。

今日のツアーを企画した幹事の方、および参加者の皆さん、本当に楽しい企画をありがとうございました。

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いやあああ、寒かった。手はかじかみ、体は骨の髄まで冷えきっていました。
そのまま一目散に飯田橋駅へ。地下鉄で帰宅したのでした。

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