大山街道探訪記 – 18. 大山のお膝元伊勢原見聞

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半年ぶりの大山街道探訪記です。伊勢原までたどり着いてからしばらく足踏みしていました。これも全て今年の猛暑のなせるところ。去年は8月にも歩いたが、今年は9月になってもその気にはならなかった。

ともあれようやく10月の長雨も終わって好天気になり、今日は絶好の大山講日和です。
午前中比較的早い時刻に小田急線に乗って、まず伊勢原駅で降り立ちました。そこから大山もくっきりです。

今日のルートは必ずしも旧街道に沿ったものではなく、駅前から太田道灌の墓処や道灌塚を通って石倉までとしました。

伊勢原駅には観光案内所があり、そこの職員も大山みちの会との交流があります。挨拶がてら情報も集めて北口の鳥居の前から出発です。ここにも大山街道の赤いワッペンがありました。

ちなみにこの鳥居を一の鳥居と思っていたのですが、後から聞いたらそうではなかった。本当の一の鳥居は平塚にあるそうです。よく見ると伊勢原から平塚までたった8キロしかないのです。

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駅前から大山方面へ行くと、まず目についたのが伊勢原火伏不動尊。1816年の伊勢原大火を止めたと言い伝えられて、それ以来「火伏の不動さま」と崇められているとあります。

続いて立ち寄ったのが千手山大宝寺。ここは浄土宗のお寺です。宗祖はご存知法然上人でご本尊は阿弥陀仏です。
目についたのが山門にある二体の小僧の像。まだ新しい石像ですが、これが何とも可愛いのです。また境内隅には沢山の延命地蔵像もありました。

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それからまた大山を正面に見ながら歩いてゆくと、大福寺というお寺を見つけたのだが、なんだか怪しい空気が漂っている。山門は荒れ果てて閉ざされ、屋根瓦の一部も剥げ落ちています。中を覗くと保存樹木となって然るべき大木が倒れている。これは神奈川県指定天然記念物の大クスノキとありました。
その近くに貼り紙があり、どうやらマンション業者と深刻な揉め事が起きているようです。

あまいいい気分のしない中立ち去って、次に訪れたのが伊勢原大神宮です。迎えてくれたのが11月23日の新嘗祭の立看板です。そして正面に大きなクスノキが立っています。ご神木ですね。

ここの本社は左に内宮、右に外宮と2つに分かれているのが特徴です。ご祭神外宮が豊受姫大神、内宮が天照大御神とあります。そのシンボルマークは内宮が赤い卵、外宮が白い卵と、実にどうも変わり種といえます。さらに参拝は1.外宮、2.内宮の順序順序で行うのが習わしとありました。
他にも春日神社、稲荷神社の小さな社もあります。

そして気になったのが道路脇の塀の下にいくつもの石碑。説明書きには江戸時代初期にこの神社が建立された時、これを管理する照見山神宮寺という禅寺もあったそうです。

この宗派は普化宗と呼ばれていたのが明治になってから廃宗となったとあります。まさに明治初期の廃仏毀釈の嵐の犠牲者だったのかもしれません。
ちなみにこの修行僧こそ「虚無僧」という、天蓋をかぶって尺八を吹きながら托鉢を行う僧だったのです。

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さて伊勢原大神宮を離れて次はどこへ行こうか。地図を見ると十二柱神社というのが目についたので、そこへ向かいました。その途中は住宅地なのだが何とも不可思議な道路の起伏。住宅地内の立体交差を通って少し行くと神社は見えてきました。

この神社の特徴はご祭神が多いこと。天御中主神、高皇産火神、神皇産火神、角樴神、宇比地迩神、宇麻志葦彦神、大斗地神、面足神、天之底立命、国之底立神、伊邪那岐神、伊邪那美神。
あとは数本の保存樹木の醸し出す自然の落ち着きというところでしょうか。

そこから国道246号の下に掘られたトンネルを潜って反対側へ。国道を歩くのではなく細い小路に惹かれて大山を右正面に見ながら進みました。
このあたりから目につくのが柿の木。途中で見つけた農家の塀越しに見事な富有柿。そして庭にも収穫したばかりの柿が山積みになっていたのです。まさに秋の風物です。

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さらに両側が石垣と塀に挟まれた小路を進むと、大山を仰いでその前に広がるのは葡萄農園。このあたりは農道や旧道と思しき小路が入り組んでいて、自分が今どこにいるのかもわからない。
そのうちに見つけたのが数棟のマンションの中にあったイタリアン・レストラン街。こんなところで商売ができるのかと疑問を感じて、それでも一休みしたくなったので入ると満席ではないか。商売繁盛しているようでした。

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そして再び旧道と思しき小路を選んで入ると、そこは実は旧大山街道だったのです。やがて見つけたのが三所石橋供養塔。これまで歩いてきた旧大山街道の脇を流れているのが千石堰用水。ここに架かる石橋や、石倉橋、川上橋を供養する塔で、享和2年(1820)に建てられたとあります。

次に向かったのが龍岩山金光寺。ここはひときわ目立つ観音菩薩像があります。本堂は極めて控えめの建築でした。
そしてこの境内から見える大山は格別中の格別。古木と石碑の後ろには、遮る電線やマンションもない、美しい大山の姿を仰げます。

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さらに旧大山街道を進んで、次に向かうのは太田道灌公の墓処。その途中に何とここにも赤い大山街道のワッペンが。
伊勢原は太田道灌公が暗殺された地だが、墓があるから生誕地なのかな調べてみると、今一つはっきりしないようです。確かに相模出身という説もあるのだが、埼玉県の越生という説もあるそうです。
やがて目的地に到着。ここはわかりやすかった。こんもりとした木々に囲まれた中に墓はありましたが、どれがそうだかわからない。そこで「ホントに歩く大山街道」を取り出して確認。屋根に覆われた小さな宝篋印塔がそうでした。

江戸城を建築したという功績も含めて、都内にもあちこちにその史跡があります。
その後曹洞宗洞昌院の本堂へ、この墓地は洞昌院の敷地です。途中には真新しい太田道灌公霊廟も建てられていました。

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次向かったのは七人塚。これは道灌公が上杉方に暗殺された時の家臣7名の墓ということです。
それから近くの史跡を探すと、上粕屋神社があるのでそこにも立ち寄りました。そういえば七人塚の説明書きには、7人の碑はもともとこの境内にあったものを、明治末に移したとありました。

神社の由緒を見ると複雑な変遷を経て現在に至っています。ご祭神は大山咋神 ( おおやまくいのかみ ) 大穴牟遅神 ( おおなむじのかみ ) 若山咋命 ( わかやまくいのみこと ) 。それに加えて多くの神様が合祀されています。
ここは樹齢の古い大木が多く、歴史を感じさせます。そして極め付きのクスノキは胴体に大きな穴が開き、まさに太田道灌公の暗殺の瞬間も見ていたことでしょう。

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再び旧大山街道へ戻る途中の太田神社の碑。夏蜜柑との対比が妙なもの。
ここで今日の行程を終えて帰る途中、予定外の出会いがありました。伊勢原駅方面に歩いてゆく途中、二の鳥居の近くに雨岳文庫資料館という小さな博物館があり、そこで大山街道展をやっていました。

それに惹かれて中に入ると、博物館の看板の下にあったのが二の鳥居の扁額。これは関東大震災で掲げられていたものが崩れ落ち、それを持ってきて再現したものだそうです。今の鳥居には扁額はありませんが、クレーンに引っ掛けられて落ちてしまったそうです。
ここで展示を見た後、この付近の地主のご当代と話をさせていただきました。山口家というのは江戸時代中期からこの地域、上粕屋で名主を務めていたという名家です。そしてご当代も大山街道のPRにとても熱心な方でした。

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古民家の母屋では部屋も開放して古い調度品などの展示も行っていたのですが、今日は「秋の朗読会」という催しが行われていて、中に入ることはできませんでした。

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もうかなり日も傾いてきたので、あとは伊勢原駅へまっしぐら。そして帰りの電車の車窓からも大山はくっきり。今日は一日、本当に絶好の大山街道日和でした。

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