大山街道探訪記 – 番外 さがみ野〜海老名再探訪

今回は大山みちの会からの誘いがあって参加しました。
今日の道順は相模鉄道のさがみ野駅から海老名まで。ここは既に一度歩いており、勝手次第もほぼわかっていたのだが、「ホントに歩く大山街道」の著者中平龍二郎さんが先達を務めてくださるという事で、少し特別な想いで参加しました。見落としていたスポットも多くあるのではという事です。

集合は相模電鉄のさがみ野駅。12人集まっていました。先頭が旗持って歩く程の大人数ではありません。でも普通の場所ではなく、道標や庚申塔などに興味を持ち、それを探し歩く集団です。

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まずは中平さんの紹介と簡単な説明を受けて歩き出しました。駅の北側すぐに旧大山街道が走っていますが、ここは何故か真っ直ぐな道なのです。まるで区画整理で作ったような真っ直ぐなのです。
しばらく歩くとそこは大塚の交差点。そこに前回見落とした道標がありました。街道脇の商店の廃物置き場の中にあるのだから、よくよく見ないとわからない。

そして少し進むと止まって中平さんの説明によると、大塚のある場所だがもうその面影もありません。その場所には住宅が建っており、その塚も来る度に削られて小さくなり、今はもうなくなってしまったとの事です。道理で前回見つけられなかった。

次の探訪地は赤坂です。前回も見た赤坂のバス停横の不動明王像の手前の小道を右に入り、桑の木の脇を通って行くと、はるか坂道の手前に庚申塔が見える。これが前回見損なった富士塚庚申塔でした。もうこの庚申塔の手前まで宅地化されて、いつまで残っているのか大変不安な状態です。
風化も進んでいたが、それでも石の脇にはかすかに行き先を示す記述が。複雑な街道の追分であった事が偲ばれます。

そして戻ってバス停脇の不動明王像と小さな石像群を囲んでああでもないこうでもない議論百出。そこに地元の人が参加して昔の事を話してくれていました。
そこから少し進んで崖を見ながら中平さんから赤坂の地名の言われ。富士山の火山灰の影響で雨が降ると地肌が赤くなるところから来ているそうです。それは東京の赤坂見附も同じという事でした。

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そして今日の行程のポイント、街道から逸れてお銀様の墓処まで行くかどうか。参加者の体力との相談です。でも行きたいという意見が圧倒的でした。小生は一度見ているのだが、中平さんの先導なら話は違います。

お銀様とは幕末の画家渡辺華山のあこがれの人。游相日記にその記録が残されています。
その途中に古東海道の跡が200mほど残っている箇所があるというので、そこを通って行く事になりました。これも前回独りであるいたときに見つけられなかったものでした。中平さんの話では、律令の時代からある道だそうです。

その場所とは考えてもいなかったような凄い場所。人の通る道ではない。まさに獣道でした。坂を下りて行ったらそこに小さな道祖神を発見。

そして普通の道を通って、と言っても錯綜する大山街道の一部なのですが。その途中華山のスケッチにもある延命地蔵堂も見ながら。中に安置されている涅槃像も拝みながら。そしてようやくお銀様の墓処に到着しました。

最近誰かがお参りしていたようで、新しい線香跡や、供えられた花もまだ枯れていない状態。墓そのものは小さくても、忘れられてはいない証です。お銀様が田原藩下屋敷に仕えた後、大川家に嫁いだとありますが、その大川家の末裔の方々が近所に住んでおられるという事です。

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その隣の公園で1本のヤマモモの立ち木があり、たわわに実っていたのでした。食べられるというのでつまんで食べてみました。甘酸っぱいがさほど美味いというものでもない。果実酒にするとよいそうです。

さて再び望地で街道に出てまたすぐに横道へ。そこにあったのが望地公園。そこから坂を下るところは見通しが良く、大山を望む事ができますが、今日は残念ながら雲の中です。

再び街道へ出て目久尻川を超えてから、川に沿ってまた脇道へ。そこにあったのは道路のフェンス越しの石橋供養塔。実はここに昔の目久尻川の橋が架けられていたそうです。

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伊勢山公園を横目に見ながら逆川の碑の前でその由来。奈良時代にスエズ運河のような堰止め方式で、国分寺まで物資を運んだ運河がそこにあったのです。かなりの高低差があり、本当に運河が造れていたのか首を傾げたくなるのですが。

さてそろそろ海老名の市街に入って行き、見えてきたのが相模国分寺跡の公園です。その中に七重の塔の礎石だけが残っています。また手前には嘉永年間に造られた道標もありました。
しかし昨年来た時に見た温故館は取り壊されてもうありません。展示物はもっと相模川に近いところに新館が造られて、そこに移されています。

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そこから名物のケヤキの大木。ここは船着き場とあるがここでまた首を傾げるのです。こんなところまで海が来ていたの、という単純な疑問です。中平さん曰く、当時は大きな水たまりも海と呼んでいたのでそこに船を浮かべていたのではということです。

そして最後の寄り道が現在の国分寺。高野山真言宗相模國分寺です。そこに国指定重要文化財の梵鐘があります。特に目立った梵鐘ではないが、鎌倉時代末に海老名一族の国分季頼が名工物部國光に鋳造させたとあります。

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境内の脇に咲いている紫陽花が丁度見頃。六地蔵との組み合わせがなかなか絵になっていました。
ようやく今日の行程を終えて、あとは食事の後解散に相成りました。

やはり中平さんと歩くと、独りで歩いていた時と比べて、知識造詣がますます深まった気になりました。

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