ときわ姫とサギ草伝説を巡る世田谷ツアー 10月7日(水)

1007tokiwahime01世田谷区にはいくつもの郷土民話がありますが、今日はその一つ、常盤姫と鷺草にまつわる悲しい伝説を訪ねての、散策イベントに参加しました。

時は戦国時代、現在の東急大井町線九品仏の浄真寺の場所には、奥沢城という小さな城がありました。その城主は大平出羽守で、その愛嬢が常盤姫でした。常盤姫はまさにその城にて生を受けたのです。

やがて若干16歳で豪徳寺近くの世田谷城址公園にあった、世田谷城主吉良頼康に嫁いだ。でもそれは正室ではなく多くの側室一人だったが、頼康から特別の寵愛を受けたのでした。しかしそれを妬んだ正室や側室たちが、あらぬ噂を立てて常盤姫への嫌がらせをした。

やがて常盤姫は城を抜け出す覚悟をして、可愛がっていた白鷺に文を託して、父母の住む奥沢城に放して、常在寺へと逃げ込んだ。そして自ら自刃して果てた。享年19歳とのことです。

その鷺をあろうことか城主の頼康が狩の最中に射落してしまい、足に結ばれている手紙を見て常盤姫の無罪を悟った。そしてその鷺の射落とされた場所に、小さく可憐な鷺草が咲き、それはあたかも鷺が飛び立とうとしている姿そのものなのでした。

ざっとこのようなあらすじの民話ですが、常盤姫と鷺草伝説として幾つかの異なった話も伝えられているそうです。

そして今日のツアーは常盤姫の生誕の地、奥沢城趾のある浄真寺。次に嫁ぎ先の世田谷城址公園。そして終焉の地としての常在寺を巡り歩くものでした。

まず集合場所は浄真寺の山門入り口。九品仏駅のすぐ目の前です。でも少し早く着いたので、まず浄真寺境内をぐるっと回って見物してきました。思いの外広い敷地の中、目立ったのが9体の阿弥陀如来仏と本堂の釈迦如来仏の修復のための勧進を請う看板でした。そして各所に修行僧と思しき頭を丸めた若い人が、境内を掃き清めていました。

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やがて集合時間で主催者が点呼を取っていました。そして人数が揃ったところで、まずは浄真寺の見学。予め申し出ていたので、坊さんがが付いて説明をしてくれる運びでした。

寺務所で待つこと一時、出てきたのがずいぶん若い坊さん。住職にしては若すぎると思ったが、やはり修行僧のようです。浄真寺のような観光寺では、観光客に案内をするのも修行のうちなのかもしれません。実に手馴れた説明です。

まずは寺務所から戻って総門の前での説明。この門は「般舟場」とあり、階段の手すりをよく見ると舟の櫂を模したものでした。

続いて閻魔堂、ここには閻魔様と葬頭河の脱衣婆の像がありました。説明によればこの脱衣婆は閻魔大王の妹だそうです。これは初耳でした。

次が仁王門と開山堂。開山堂にはこの浄真寺の開祖珂碩(かせき)上人の像が祀られ、仁王門には二十五菩薩が安置されているが、今日は見ることはできませんでした。

さて仁王門を潜って左手を見ると、鐘楼と奥沢城の土塁がありました。もともとはこの土地は大平家の奥沢城だが、北条家に仕えていたために豊臣秀吉の小田原攻めによって、北条家の滅亡とともに取り潰されたのでした。その後に浄真寺が建立されています。そしてその一角に城址としての土塁が残されていたのです。

そして本堂脇に小さな湿地のような庭園。ここに毎年初夏に咲くのが例の鷺草です。今は季節が違うので見ることはできません。

説明によればこの鷺草というのは大変栽培が難しいので、自然に咲かせるのではなく近隣の花屋さんに委託して栽培しているということでした。それはともあれここに来れば、季節になればあの可憐な白い花を見ることができるのです。

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そして次が本堂見学。そこにご本尊の釈迦如来仏が安置されています。この本堂は龍護殿と呼ばれ、穢土(現世)を表すとのことです。これはその向かいにある浄土(来世)を表す三仏堂と対照を成しています。ちなみに九品山浄真寺は浄土宗。南無阿弥陀仏のお念仏を大切にする宗派です。

そして向かいが阿弥陀如来像の安置される三仏堂。上品堂、中品堂、下品堂、そこには3体ずつ計9体の阿弥陀如来像があります。各々、「上品上生仏」「上品中生仏」「上品下生仏」「中品上生仏」「中品中生仏」「中品下生仏」「下品上生仏」「下品中生仏」「下品下生仏」。これが九品仏の謂れということです。

現在上品堂の右端の「上品中生仏」が修復のために京都に行ってるとのことで、魂を抜いて鏡に鎮めたものが置かれていました。そして修復期間が2年とのことで、10体全て終わるのは20年後という気の遠くなる話です。

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あとこの浄真寺の話題をあげれば「お面かぶり」の行事でしょう。阿弥陀さまが25菩薩さまを従えて、西方浄土からご来迎になると言う浄土の教えを行事にしたものです。そこで本堂と三仏堂の間に橋をかけて、阿弥陀さま菩薩さまのお面をかぶった信者が行道します。3年毎に行われるそうです。

さて浄真寺の見学が終わったらもう寺分時です。駒沢公園を通って田園都市線の駒澤大学前駅付近で一時解散。昼食後に田園都市線で三軒茶屋へ行ってから、世田谷線に乗り換えて上町へ。そこから世田谷城址公園に向かいました。

ここが常盤姫の嫁ぎ先である吉良頼康を城主とする世田谷城の跡です。もともと吉良家は足利氏の一族。その後北条家と縁戚を持つことになったが、ここも秀吉の小田原城攻めによって、北条氏の居城とともに廃城になりました。

その後は豪徳寺を菩提寺にする井伊家の所領になり、今は堀の一部が残っているくらいで、当時の面影はほとんどありません。その堀の跡の起伏に子供たちが元気に飛び回っていました。

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常盤姫にとってこの世田谷城での生活は大変辛いものだったでしょう。頼康の寵愛を一身に受ける分、正室や他の側室の妬みを買い、あらぬ噂を立てられて、逃げ込んだ先が次の訪問場所の常在寺です。
再び世田谷通りに出てボロ市通りを通って途中の代官屋敷に立ち寄りました。

そこから常在寺はすぐ先にあります。着いたら改装されたばかりの外装が目につきました。これは開山500年を記念して、平成14年に改装されたとありましたが、もう改装後13年も経っていたのですね。

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この常在寺の山号は「寶樹山」、日蓮宗のお寺さんです。常盤姫との縁は、開祖日純上人の説方に触れて信心を深くし、この常在寺を建立したとありました。この山号「寶樹山」も常盤姫の法号(戒名)「寶樹院殿妙常日義大姉」に因んだものなのでした。お墓の墓誌にも日純上人をはじめとする、歴代住職の中に常盤姫の法名が刻み込まれていました。

境内を見学してから、外に出ると目立つのが五重塔。これは信徒の永代供養の象徴として建てられたものです。モデルとなった京都の醍醐寺の1/6の大きさの、ミニチュアのような五重塔ですが、立て方は伝統的な技法に沿ったもので釘は一本も使わず、部材も手造りの実に丁寧な繊細な造りです。100年後にこれを分解して改修することまで想定して作っているとありました。

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そして今回のツアーの最後の演し物が紙芝居でした。テーマは「常盤姫と鷺草伝説」演ずるのが劇団・せたがや創作紙芝居というグループです。もうかなり前にこの噺を題材に紙芝居を作ってたようで、今回散策ツアーと組み合わせて披露するという趣向でした。場所は常在寺の地下の納骨堂。お仏壇の前での上演です。

観客も席に着き、場内が暗くなって始まりました。まずは主催者挨拶と、今日の特別企画としてギターのBGMの演者紹介。そして本題へ。暫しの間、常盤姫の悲しい物語に涙する一時でした。

終わってから特製のどら焼きが振舞われ、お茶でくつろいで今日の行程の全てが終了しました。終了時刻は予定の17時より少し早く16時頃。現地解散となりました。

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