しのばず寄席 鳳樂・里う馬二人会 お江戸上野広小路亭 5月19日(金)

今日はプレミアムフライデー、と言っても一時ほど騒がれない。それを狙ってかわからないがこの会は開演時刻が早いんです。普通の夜の落語会は19時が普通なのだが今日は18時。少し早めに行かなくてはなりません。

5月も後半になると日が長い。会場のお江戸上野広小路亭は斜め横から強烈に西日が当たってます。その中に見たことのある顔ぶれが何人も並んで開場を待っていました。

お江戸上野広小路亭は何年ぶりになるのかな。いつも鈴本演芸場へ行く時に、横目で出演者の顔ぶれを確認するだけで通り過ぎていたのです。でも今日は贔屓の三遊亭鳳樂師匠の出演とあって、鈴本など見向きもせず開場待ちの列に並びました。

やがて開場。ここは土足では上がれない。入口でスリッパに履き替えるんです。靴を2階のロッカーに預けて3階が会場。その会場も狭く一般の住宅の広間くらいの空間です。そして狭い舞台の前に濃い赤紫の幕がかかっていました。

やがて開演で幕が開くと、この高座の設えが実に落語の舞台らしいものがあります。昭和の時代の寄席の香りがします。そこに前座の三遊亭鳳月さんが出て来ました。

この人は落語以前からの芸歴も長いと聞くので、高座もゆったりと聴いていられます。いい男なのでおばさん連中にも人気が高いようです。客席からも鳳月さん鳳月さんという声が聞こえます。まずは『一目上がり』でご機嫌伺いというところでした。

一度幕が閉じて次は鳳樂師匠と里う馬師匠との対談です。このお二人の共通点は、方や五代目円楽一門、こなた立川流の惣領という立場です。そして両方の流派は落語協会、落語芸術協会という本流ではなく、そこから飛び出して組織された流派なのです。

しかしこのお二人が入門された当時は、両派共分裂前の落語協会だったということで、一緒に親しく前座時代を過ごしたという話でした。里う馬師匠が鳳樂師匠を兄さんと呼んでたので、鳳樂師匠の方が先輩なんですね。鳳樂師匠も談志師匠にずいぶん可愛がられたと言ってました。

興味深いのは当時は前座が沢山いて楽屋に入りきれず邪魔者扱いされるので、キセルのような初めと終わりだけ寄席に詰めて、間は映画を見たりとかしていたそうです。今のように真打が山ほどいて、お互いに熾烈な競争をしているのとはだいぶ違います。丁度団塊の世代が成人して大量に落語家志願で入門して来たそうです。

そこで度々話題に出て来たのは、圓生と先代小さん。鳳樂師匠も里う馬師匠もその孫弟子に当たり、その後の落語協会の分裂騒動の渦中にいたのでした。

そんな話が続くうちに時間も押してしまいました。対談の後は土橋亭里う馬師匠の出番です。そういえばこの土橋亭里う馬という高座名は十一代目ということです。前座時代は立川談十郎だったそうで。そのうちに当時の会長の圓生からのクレームで談十になり、会長が小さんになって再び談十郎が許されたなんて話していました。

里う馬師匠は体質的に酒が飲めないとのこと、でも今日は酒にまつわる噺を聞かせてもらえるようです。『禁酒番屋』でしたが、酒の飲めない噺家さんの酒飲みの演技は、時に迫真のものがあります。観察眼というものでしょうか。一言一言噛みしめるような口調で、最後は自分も酔っ払った気分になってたようでした。

仲入りがあって最後は三遊亭鳳楽師匠の番です。「中の舞」の出囃子に乗って黒紋付で登場です。そして開口一番、「スポーツニュースを申し上げます」。今日の大相撲は横綱三人が勝ったが、高安が負けたということでした。

そして相撲の話が続きます。初代横綱明石志賀之助、二代目綾川五郎次、三代目丸山権太左衛門、四代目谷風梶之助、五代目小野川喜三郎と続き六代目は。。。。今日の噺はその六代目の出世噺『阿武松緑之助』でした。その阿武松緑之助は能登の出身、そう言えば何年か前能登行脚をしていた折、国道脇に阿武松の記念碑を見つけました。

この話は史実に基づくものとは思うが、大食漢の伝説はどこまで本当なのかな。でも落語になるくらいなのだからかなり食べたのでしょう。また食べなくては横綱になることもできなかったでしょうね。そんな事を想像しながら聴いてました。

そしてハネたのも20時過ぎ。今日は多くの鳳樂追っかけ隊が来ていて、打ち上げにも誘われましたが、生憎その前にがっつり腹ごしらえしてしまったところだったので、お断りしてしまいました。参加したい気持ち半分だったのですが。。。

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