「伝承話藝を聴く會」神保町東京堂ホール 12月3日(土)

1203wagei01最近は落語ブーム、と言っても、今までのようなブームと少し違う。渋谷の落語会「シブラク」や深夜の末廣亭などは。これまでの伝統にこだわらず自由な、まさに今風の風俗を取り込んだものななっていて、それが若い世代を落語に引きつけています。落語がラクゴになってしまった感すらあります。

1203wagei05 1203wagei06一方すっかり常連になってしまった「伝承話藝を聴く會」。これはその対極にあるような落語会。でも続きに続いて、今回はその40回目の席だそうです。開演時刻にはもう東京堂ホールは満席になっていました。

今日は師走の最初の土曜。真昼でも陽が低く、神保町のすずらん通りには陽は当たりません。そして今は日の入り時刻も一年中で最も早いのです。そんな季節の落語会、根多出しされている演目もこの季節ならではのものです。

一番前の席を陣取って開演待ち。高座には釈台が置かれています。今日の開口一番は宝井琴柳先生でしょう。根多出し演目は『大塩平八郎-瓢箪屋裁き』とあります。もちろん初めて聴く演目でした。

1203wagei02 1203wagei03 1203wagei04待ち時間に番組表を見ていると寄席文字のうんちくが書いてあるではありませんか。フムフム、なかなか興味の惹かれる話です。橘右近師が黒門町の桂文楽師の後ろ盾で家元になったところから始まったとのこと。案外その歴史は新しいのでした。

やがて琴柳先生高座へ上がって、講談がなかなか理解されないという嘆き節。道路公団、住宅公団ではないんです。「講談」なんです。そして今日の主題に入ってゆきました。

大塩平八郎というと歴史の教科書では「大塩平八郎の乱」ということで、反逆者のイメージがあるが、元々は上方の与力でお裁きもしていたということで、とにかく正義感の強いお武家さんだったそうです。そんな与力のお裁きの話です。

瓢箪屋が身代を三人の息子の誰に譲るかということで、三人が各々親の旦那からもらった瓢箪の鑑定をするというものでした。鑑定といっても本物偽物というものではない。親が本当の継承者には本成瓢箪を持たせていたというのです。本成瓢箪なら自分で立つことができるが、そうではない裏成瓢箪のようなものでは転んでしまうという論理です。何とも牧歌的なお裁きですね。これも講談の味わいというものでしょうか。

続いては桂藤兵衛師匠ですが、この席には前座はいません。高座返しなどは演者が下りてゆく前に次の人のために行うのです。琴柳先生は座布団を返した後、めくりを返して今使っていた釈台を抱えて下りてゆきました。

そして藤兵衛師匠。今日の演目は『首提灯』です。これも侍の出てくる噺ですが、そのためかわからないが今日の出立が剣道の道着のような色合いです。演目解説には「見る落語」とあります。そして藤兵衛師匠の師匠、八代目林家正蔵氏が「首の短けぇ奴ぁ、演っちゃいけないよ」と言ってたというのは笑ってしまいます。

小生としては印象に残ってるのが六代目三遊亭圓生ですが、この人ならば細身なのでこの噺にはうってつけでした。首が転げ落ちそうになる場面は迫真のものがありました。確かにアメフト選手のような体格の人がこの噺を演ってもサマにならないでしょうね。で、藤兵衛師匠は。とにかく噺を聴いてる間、首が気になって気になって仕方がなかった。藤兵衛師匠、かなり太い首ですね。

仲入りがあって今日のトリは柳亭小燕枝師匠です。そして根多出し演目は『富久』。確かにこの噺は有名なのだが、今の時期しかできない季節根多です。そしてこの噺の主人公の久蔵は幇間。それも腕も達者な幇間だが酒癖が悪いということで、他の落語に出てくる、ちょっと抜けた幇間とは違った個性です。

この噺、現代とは価値観が違う。出入り禁止にした芸人も、遠路火事見舞いに来たことでまた贔屓にしてしまうんですね。こんな緩い規律が落語の人情噺を成り立たせるのでした。木枯らしの吹く中、あちこちで火事の発生する江戸の街を想像させる噺です。そして大神宮様のおかげで千両富を当ててしまって、一発逆転の人生。でもこれは現代の宝くじと同じでした。

年の瀬の季節根多は他にもいくつもあるが、このような噺を聞くと、何だか追い立てられるような気分になるのは自分だけなのか。ということで終演して外に出ると、まだ16時過ぎというのにすっかり夕暮れでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください